歴史

台湾南部

徳記洋行は、日本統治時代「大日本塩業会社」の営業所として使われていた。

洋行とは、外国人が台湾で開設した商社のことです。 清朝末期に安平で有名だった洋行は、イギリスの徳記、怡記、和記、アメリカの唻記、ドイツの東興で、その中でも徳記洋行は1867年に創設され、主にアヘン、樟脳、砂糖など取扱していたそうで...
台湾南部

現存する台湾最古の城「安平古堡」歴史の移り変わりを感じます。

オランダが台南を台湾の首都としていたころの軍事要塞です。 1624年この城は、行政の中心「内城」と防衛用の「外城」としてオランダ人の台湾統治と対外貿易の拠点でした。 1662年鄭成功がオランダ人を駆逐し居住しておりましたが、...
台湾南部

台南:南鯤鯓代天府「風調雨順」。何事もすべてがうまく運ぶように。あたりまえに感謝して生活を!

台南の南鯤鯓代天府に「風調雨順」の文字 ”豊年で安楽であるように” 風:増長天王 調:持國天王 雨:多聞天王 順:廣目天王 台湾観光など日本からのツアープランやご相談はお気軽に! 緑遊網旅行社(日本語名:グリーンツア...
台湾南部

祭神は、李、池、呉、朱、范の五府千歳 台南「南鯤鯓代天府」は見どころたくさんです。

唐の王朝樹立に功績のあった人物が玉皇大帝から神とされた李大亮、池夢彪、呉孝寛、朱叔裕、范承業 三川殿です。一番右側から拝殿へと まずはお線香を、なんとこの火鉢にお線香を入れるだけで火がつきました。 紙銭...
台湾南部

台南の人にとって、もしかしたら日本人って身近な存在かも?「鹿耳門天后宮」

台南は昔オランダの植民地でした。1661年清への抵抗勢力を立て直すため鄭成功が、台南に上陸! 鹿耳門天后宮の駐車場はとにかく大きいく広いのが印象的です。恐らく信仰している人の数も多いだろうし、また場所が車を利用しないと不便だからで...
台湾南部

四草の「緑のトンネル」をクルージングした後は、300年以上もの歴史がある「四草大眾廟」へ

成功軍とオランダ軍との戦いによる戦死者が祀られている。今の四草大眾廟の前身はオランダ統治時代の地図にも載っているそうです。 主神は「鎮海元帥」でかなりの力持ちだったそうで、その力で数々の奇跡をおこし、台湾人で初めて「奇人」となり「...
台湾南部

生まれ変わった台南のランドマーク ”林百貨(ハヤシ百貨店)” 昭和7年12月5日開業

創立者は1883年生れ、山口県出身の林方一氏 開業直前に病で倒れ、ハヤシ百貨店の開業見ることなく昭和7年12月10日台北にて死去 現在の林百貨 1932年創業当時(Wikipediaより)右側は旧:日本勧業銀行台南支店(現:...
台湾西部

台中に行ったらぜひ足を運んでほしい、日本人と縁が深い「寶覺禪寺」宝覚寺

台湾・台中「宝覚寺」は1927年日本統治時代に建てられた臨済宗妙心寺派のお寺なんです。 金色の笑う大仏様!台湾台中「宝覚寺」は日本人にもゆかりの深いお寺です。 本堂の老朽化を保護する形で、大きな石造りの「大雄寶殿」が作られました。 ...
台湾西部

1917年日本統治時代の「台中駅」をそのまま残して橋上駅になった!

今後も残される駅舎「台中駅前站」(西口)国家二級古跡 写真(左奥)に見えているのが橋上の台中駅です。現在の駅舎と第一プラットホーム・20号倉庫も残されるようです。 レトロ感がたまらなくいい感じです。駅弁の販売や鉄道フ...
台北

神秘のベールに包まれてきた秘密のトンネルが、台湾の国際的なホテルにあった!

龍・石獅・梅花を多く使い、中国建築の特徴を前面に出している真っ赤な国際的なホテル 日本統治時代に、台北市内の剣潭山に建立されていた台湾神社の跡地を利用し作られた「圓山大飯店」に長年、神秘のベールに包まれてきた避難通道があることを知...
台湾南部

台湾・高雄の「澄清湖」といえば九曲橋、この橋を渡って魔除けをしてきました

魔物はまっすぐしか歩けないそうです。魔除けの為にジグザグに。。。 1960年、中国上海城隍廟の九曲橋を模倣して建造、長さ230m・幅2,5mで、9回折れ曲がっていることで魔除けの橋として人気があります。 「中興塔」高...
台湾南部

かつて、蒋介石総統の別荘地であった「澄清湖」なんと敷地面積は約375ヘクタール

375ヘクタールってどのくらい?ちょうど東京丸の内の丸ビル375分。。といっても?? とにかく敷地が広く、見どころもたくさんあるんです。でもとてもじゃありませんが、歩いて回るとなると1日かかってしまうと言われ、 今回...
台湾南部

1941年、日本統治時代に建築された旧高雄駅舎(現:高雄鉄路地下化展示館)

日本の建築学でいう「帝冠式建築」です。西洋古典建築の上に和風の屋根になっている和洋折衷建築です。 駅舎の屋根中央部分(円形)に掛けられていた時計で「東方錶」とは、オリエント時計のことです。 ロビー内の建築はほとんどが...
カルチャー

台北のシンボル的存在「総統府」のある博愛地区は、台湾中央政府が集中している。

博愛地区には1895年の日清戦争が終ってから1945年第二次世界大戦が終るまで、日本統治時代の建物が現存している。 いまだに現役「台大医学院旧館」1921年ルネッサンス様式の赤レンガ建て、1912年台湾総統府営繕課勤務、建築家の近藤十郎が...
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