2025年シーズンから北海道日本ハムファイターズに加入した古林睿煬(グーリン・ルェヤン)選手。最速157kmの直球を誇り、2024年シーズンには台湾プロ野球でMVPを獲得した彼の、新たな挑戦に注目が集まっています。
そんな古林選手ですが、台湾現地では「國民金孫」(国民的な可愛い孫、国民に愛される孫)とも呼ばれ、愛されてきた選手でもありました。
今回は、彼の母校に取材し、古林選手がどういった場所で野球をし、育ってきたのか、そのルーツをたどりました。
見えてきたのは、野球ができる環境を作り、野球選手を支え、応援し、選手と苦楽をともにしてきた台湾の人たちの愛でした。
台湾高校野球の特徴について
古林睿煬選手の高校を紹介する前にまずは、台湾の高校野球について簡単に紹介しましょう。
台湾の高校野球は、日本における甲子園のような国民的イベントにこそなっていないものの、多くの選手権大会が設けられており、U18では強豪国の一角でもある。台湾野球の強さはアマチュア野球にその源泉があります。
また、木製バットと金属バットで別々の組に別れていたり、木金混合だったり、世界標準に合わせた木製バットを取り入れつつ、経済的な金属バットをうまく活用している部分も特徴です。
代表的な大会として以下の大会があります。
高中棒球聯賽(高校野球リーグ)
毎年2月に中華民国学生野球運動連盟の主催で行われる全国大会大会で、1992年から始まる、台湾でも歴史のある大会です。毎年40校ほどが参加し、予選はリーグ戦形式、決勝戦はトーナメント形式で行われます。この内上位20チームについては、中華民国野球協会主催の全国青年野球選抜大会に参加できます。
なお、硬式・軟式の他に、硬式は木製バットと金属バットの3グループに別れています。(メンバーの重複は禁止)
玉山盃全國青棒錦標賽(玉山杯全国青年野球トーナメント)
「台湾の甲子園になる」を合言葉に、始められた大会で、テレビ中継もされるなど、台湾でも人気の高い大会です。2001年から始まり、2007年から現在の名称となりました。
ただし、チームは学校単位ではなく、県と市単位で代表チームを作り、トーナメント形式で競われます。使用バットは木製バットのみ。
他にも同時期に王貞治盃全國青棒錦標賽(王貞治杯全国青年野球トーナメント)もあります。
黑豹旗全國高中棒球大賽(黒豹旗全国高校野球大会)
この大会は、多くの特徴がある大会です。
2013年から始まった比較的新しい大会で、民間企業のみで開催されている点も特徴的です。スポーツ学科を持たない一般校にも参加資格があり、それらの高校に限り金属バットを使うことが許可されている木金混合の大会です。
また、当初は男女の区別もなく、2023年には高雄の女子校が参加し、史上初の登録メンバー全員が女性というチームで大会に参加し、話題を呼びました。その後2024年から新しく女子グループが始まりました。

0:24で初戦敗退となったが、多くの注目を集めた。
(中央社 自由體育よりhttps://sports.ltn.com.tw/news/paper/1611230)
WBSC U18ワールドカップ
そして、台湾の高校球児が最も憧れを持って目標とするのは、U18の台湾代表に選抜され、世界と戦うことです。
台湾のU18代表は過去31回のうち、優勝3回、3位以内20回と強豪の一角を占めている。U18に選抜されるとプロへの道がぐっと近づき、海外のスカウトの目にも止まりやすい。こういったことから、台湾の高校球児はそれぞれの国内大会で活躍をし、U18に選抜されることを目標にしている選手が多いです。
卒業後の進路
台湾の高校球児は高校卒業後、台湾プロ野球CPBLもしくは大学進学というルートが一般的です。
しかしコロナ以降、国内リーグを経ずに直接アメリカの2Aや日本の育成選手でドラフトに入る選手が増えてます。アメリカ組で有名なのは、2024年プレミア12の決勝で日本代表を4回1安打無失点に抑えた林昱珉選手(リン・ユーミン│ダイヤモンドバックス傘下2A)でしょう。
日本組の代表は日ハム育成の孫易磊選手(スン・イーライ│日本ハムハファイターズ)などがいます。(孫易磊選手は大学進学後中退して日ハムに入団)
古林睿煬選手の母校は台湾屈指の名門校!
古林睿煬選手の出身校は、平鎮高中(以下:平鎮高校)です。
台湾北部桃園市にある市立校で、野球部創部は2003年。創部から20年ほどの歴史の中で、高校野球リーグは4連覇を含む優勝5回、準優勝3回。黒豹旗全国高校野球大会では過去12大会のうち、優勝7回、準優勝3回。60名以上のプロ野球選手を輩出する台湾随一の名門校です。
有名なOBにはプレミア12で主に3番を打った林立選手OB(リン・リー│2014年卒業、楽天モンキーズ)といった選手がいます。

(教育部公式HPより:https://www.edu.tw/News_Content.aspx?n=9E7AC85F1954DDA8&s=EFEAC549B2C68706)
ちなみに台湾の高校野球ではもう一校、高校野球リーグ優勝7回、準優勝7回を誇る穀保家商という私立高校があり、平鎮高校と並んで両校は二強として、ライバル関係にあります。
王柏融選手(ワン・ボーロン│台鋼ホークス)や、陳冠宇選手(チェン・グァンユウ│千葉ロッテマリーンズ)、孫易磊選手などが主な卒業生です。

(台灣棒球維基館よりhttps://twbsball.dils.tku.edu.tw/wiki/index.php?title=%E5%AD%AB%E6%98%93%E7%A3%8A)
平鎮高校の野球部は穀保家商や他の高校と比べて、”日本式”のチームづくりであると言われることがあります。
ここでいう”日本式”とは、”厳しい”ということです。練習時間が長いことは前提で、平日はスマホの利用禁止や恋愛禁止といった私生活も管理するチームづくりが有名です。
また、守備に力を入れる指導方針も”日本式”と言われる理由です。特にノックを中心とした守備の全体練習が平鎮高校の名物とされており、そうして養われた堅守な野球は、特にトーナメント戦でその真価を発揮しています。
平鎮高校は公立校ですが、台湾屈指の強豪校となったのには、桃園という場所が強く関係しています。
桃園市には「台湾プロ野球発祥の地」である龍潭野球場があり、現在は野球殿堂ガーデンホテルという野球をテーマにしたホテルが建てられています。

(公式HPより:https://hotel.fhgh.com.tw/jp/)
今でもCPBL所属のプロ野球球団の楽天モンキーズが本拠地を桃園に置いています。
また、プロ野球に限らず、桃園市政府全体を挙げて野球選手の育成に力を入れており、市内の龜山國小(亀山小学校)新明國中(新明中学校)もそれぞれ、台湾で有名な強豪校です。
そのため、才能のある青少年は、小学生の時から桃園市に移り住み、野球に没頭できる環境で練習に励む例も少なくないと言います。
実際、平鎮高校が練習に使っているグラウンドは市営の野球場で室内練習場も併設されており、かなり設備が整っていることが見て取れました。
このように「野球王国」桃園のサポートの上に、強豪・平鎮高校が成り立っていると言えるでしょう。

(教育部公式HPより:https://www.edu.tw/News_Content.aspx?n=9E7AC85F1954DDA8&s=EFEAC549B2C68706)
古林睿煬選手が愛した味、嚴記新埔粄條
そんな名門、平鎮高校が練習に使っているグランドから徒歩3分ほどの場所に、平鎮高校の歴代OBに愛された食堂があります。
お店の名前は「嚴記新埔粄條」。
このお店は平鎮高校野球部の選手の要望で作られた特別メニューがあることで有名です。

小高飯
高宇杰選手(ガオ・ユージェ│2015年卒、現中信ブラザーズ)の要望で作られたメニュー。
どんぶりに豚肉と卵、胡椒をかけた一品です。
練習後の食事に最適な、高タンパク・低脂質なメニューとなっており、元々は豚肉のどんぶりに炒めた卵を乗せて欲しいという高宇杰選手の要望から始まったそうです。
名前の由来は高宇杰選手の苗字「高」からで、ニュアンスとしては”高ちゃん丼”みたいな感じでしょうか。お値段 80元。

阿賢湯
こちらは、林政賢(リン・ゼンシェン│2014年卒、元味全ドラゴンズ、現在は陸軍所属)の要望を元に作られた一品で、こちらはメニューとして貼り出されていない裏メニューのため、小高飯ほど有名ではないものの、古林選手のお気に入りだったそうです。スープに豚肉とほうれん草を入れたもので、名前は林政賢のあだ名からつけられたのだそうです。こちらもお値段80元。

実際に筆者も行ってみると、店内は平鎮高校OBを応援するパネルがずらりと並び、平鎮高校野球部を全力でサポートしていることがわかりました。
どちらの料理も実際に食べてみてびっくり!メインとなる豚肉が柔らかいのに肉の味わいが生きていて、薄味なことも合わせて、非常に美味しい料理でした。
話題性だけではなく、きちんと料理が美味しいことが長く愛されている理由なのだと痛感しました。
嚴記新埔粄條の店員さんは皆、古林選手をはじめ、平鎮高校OBを知っており、私たちの質問に対し、
「(平鎮高校の野球部は)外地からきている人や、原住民も多い。だからこそ彼らの親のような気持ちで見守っている。平鎮高校を卒業してからもたまに顔を出してくれるが、成功して戻ってきてくれるのが本当に嬉しい。」と話してくれました。
また古林選手については、
「ファイターズに加入したことで北海道にいく理由ができた。応援に行く時には、お店に飾っているパネルを持っていく。」
と話してくれました。

これから故郷から遠く離れた北海道の地で、自分の身体と技術だけを頼りに戦う古林選手がマウンドになった時に、高校3年間慣れ親しんだ店の応援パネルを見た時、どれほどの勇気をもらうのだろう…。それを想像すると、取材の途中、胸がいっぱいになりました。
野球を愛し、選手を愛し、成長を見守る。
”国民の孫”古林選手を育てた台湾らしい温かさがそこにはありました。
筆者プロフィール
げん

台湾を愛するあまり、台湾で兵役に行った男。
台北にて、台湾人の母親と日本人の父親の間に生まれる。
日本で小学校から中学校途中まで過ごしたのち、台湾花蓮で中学〜高校卒業までを過ごす。
2022年〜翌年まで台湾にて兵役に服する。
台湾の政治・経済・歴史・軍事などの分野で【手触りの台湾情報】の発信を続ける。